【第一次世界大戦】背景や経過、影響などわかりやすく解説

Introduction:第一次世界大戦とは?

第一次世界大戦とは、

1914〜1918年にかけて、同盟国と協商国が戦った初の世界戦争

です。

第一次世界大戦は、ヨーロッパを主戦場として繰り広げられ、多くの犠牲を払いました。

この大戦によって多くの帝国は消滅し、領土の再編が行われました。

本記事では、第一次世界大戦の背景や経過、講和条約、影響をわかりやすく解説していきます。

【第一次世界大戦】 要点
・背景:ビスマルク体制が崩壊、三国同盟vs三国協商、「ヨーロッパの火薬庫」バルカン半島
・経過:サラエボ事件、短期決戦作戦、日本参戦とイギリス秘密条約、アメリカ参戦、ドイツ革命
・ヴェルサイユ条約:国際連盟の創設、軍備の制限、領土再編、賠償金支払い命令
・影響:帝国の消滅、パクス=ブリタニカの終焉とアメリカの台頭、社会主義国の誕生、総力戦と兵器、集団安全保障

Part 1:戦争の背景

第一次世界大戦が起きたのは、ヨーロッパにおける国際関係の変化という背景があります。

1−1 ビスマルク体制の崩壊から「三国同盟vs三国協商」へ

ビスマルク体制で安定していたヨーロッパの同盟関係は、徐々に変化していきます。

ビスマルク体制についてまとめた記事は以下のリンクからご覧いただけます。

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ビスマルク体制

20世紀初めのヨーロッパでは、ドイツ・イタリア・オーストリア三国同盟ドイツ・ロシアによる再保障条約という2つの同盟関係がありました。

これは、フランスと対立していたドイツが、挟撃を回避するためにロシア・オーストリアと同盟を結ぶ外交努力をし、フランスを孤立させることに成功した結果です。

しかし、ヴィルヘルム2世がドイツの皇帝に即位すると、海外進出を狙う政策を促進したことでロシアとの関係が悪化します。

その結果、再保障条約は解消となり、ドイツとロシアの同盟関係が終了します。

それを知ったフランスは、ロシアと「露仏同盟」を締結し、ドイツを挟む形で同盟関係を築きました。

ドイツは強気な姿勢で外交に取り組んだ結果、イギリスとの関係も悪化しました。

「光栄ある孤立」という方針をとっていたイギリスは、同盟関係を避けてきましたが、ドイツとの関係悪化を受けて、1902年に日英同盟、1904年に英仏協商、1907に英露協商を締結しました。

このように、ドイツと敵対する勢力であるフランス・イギリス・ロシアが結んだ同盟を「三国協商」と言います。

その結果、ドイツ・イタリア・オーストリアの三国同盟フランス・イギリス・ロシアの三国協商に別れて対立することになります。

1−2「ヨーロッパの火薬庫」バルカン半島

第一次世界大戦が勃発した背景には、バルカン半島におけるヨーロッパ諸国の対立があり、「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれていました。

当時のバルカン半島は、ドイツやロシアといった大国が領土獲得に興味を示しており、ヨーロッパ国際関係において重要な場所になっていました。

そのよう緊張状態の中、1908年にオスマン帝国「青年トルコ革命」が起こりました。

「青年トルコ革命」は、オスマン帝国の近代化を進める運動である「青年トルコ」が専制政治を打倒した革命です。

この革命の混乱に乗じて、オスマン帝国の支配下にあったブルガリアが独立を宣言し、オーストリアがボスニア・ヘルツェゴヴィナを併合しました。

ボスニア・ヘルツェゴヴィナを併合したオーストリアが、セルビアに接近したことでセルビアの反オーストリア感情が高まりました。

1911年、青年トルコ革命で混乱していたオスマン帝国に対して、イタリアが戦争を仕掛け、「イタリア=トルコ戦争」が勃発しました。

イタリアはこの戦争に勝利し、オスマン帝国は混乱・弱体化しました。

この状況を見たセルビアは、ギリシャ・ブルガリア・モンテネグロと「バルカン同盟」を結びました。

弱体化したオスマン帝国に対し、バルカン同盟軍は戦争を仕掛け、勝利を収めました。

これを「第一次バルカン戦争」と言います。

しかし、オスマン帝国から獲得した領土の分配に関して、同盟内で争いが起き、第二次バルカン戦争」が勃発しました。

その結果、ブルガリアが敗北し、セルビアと対立するドイツやオーストリアと接近していきます。

このような、バルカン半島における一連の戦争や国際関係が第一次世界大戦へとつながっていきます。

Part 2:戦争の経過

第一次世界大戦は、当初の予測よりも長期化し、多くの軍事兵器を用いた総力戦となりました。

2−1 開戦:サラエボ事件

1914年6月、オーストリア皇位継承者夫妻は、併合したボスニアの州都であるサラエボを訪問していました。

オーストリアによって併合されたことを不服に思っていたボスニアの青年である「プリンツィプ」は、自動車に乗っていたオーストリア皇位継承者夫妻を銃殺しました。

これを「サラエボ事件」と言います。

皇位継承者夫妻を殺されたオーストリアは、セルビアに宣戦布告し、開戦となりました。

同じスラブ人であるロシアはセルビアに味方し、ドイツはオーストリアに味方をしました。

先述したように、ロシアはイギリス・フランスと三国協商を締結しており、ドイツはイタリア・オーストリアと三国同盟を結んでいました。

そのため、セルビアに味方する三国協商とオーストリアに味方する三国同盟の戦争になりました。

2−2 ドイツの短期決戦作戦

結果的に長期化した第一次世界大戦でしたが、当時は大規模で長期化すると思われていませんでした。

地理的にロシア・フランス・イギリスに包囲されていたドイツは、短期決戦を望んでいました。

ドイツの作戦は、始めに西部戦線に戦力を集中させてフランスを撃破し、その後、東部戦線に戦力を集中させてロシアと戦うというものでした。

西部戦線では、ドイツが中立国のベルギーを通ってフランスへと侵攻しました。

この戦争を「マルヌの戦い」と言い、フランス軍が勝利を収めました。

東部戦線では、ドイツとロシアは「タンネンベルクの戦い」を繰り広げ、ドイツ軍の勝利となりました。

この他、バルカン半島では、オスマン帝国がフランス・イギリスの連合軍と衝突した「ガリポリの戦い」がおきました。

さらに、ドイツとフランスが戦った「ヴェルダンの戦い」や「ソンムの戦い」など、当初のドイツの目論見とは違って、戦争は長期化しました。

2−3 日本の参戦とイギリス秘密条約

1914年には、日英同盟に基づいたイギリスからの要請で、日本が東シナ海のドイツ軍に攻撃を開始し、参戦となりました。

日本軍は、ドイツの青島要塞や中国領土を陥落させ、中国に侵略を開始しました。

そして、日本は中華民国に「二十一ヶ条の要求」を行い、ドイツの利権を日本に渡すことを要求しました。

このような日本の侵略は、帝国主義的な対外政策の第一歩になりました。

ちなみに、オーストリア・ドイツと三国同盟を締結していたイタリアでしたが、1915年にイギリス・フランスと領土交渉を行い、協商国側として参戦しました。

イギリスは、戦局を有利なものにするために3つの秘密条約を締結しました。

1つ目は、同盟国側に味方をしていたオスマン帝国を打倒するために、帝国内のアラブ人に対して、「アラブ人国家独立」を約束することで反乱を誘発した「フセイン・マクマホン協定」です。

2つ目は、協商国オスマン帝国をイギリス・フランス・ロシアで分割するという「サイクス・ピコ協定」です。

3つ目は、イギリスがユダヤ人に対して、パレスチナ国家建設を認めた「バルフォア宣言」です。

これら3つの秘密条約の内容は、大きく矛盾を抱えており、現代まで続く中東問題の原因であると言われています。

アラブ人の独立を約束し、もう一方では帝国を分割する条約を結び、パレスチナには国家を認めるなど、両立不可能で矛盾した秘密条約を3つも結んでいました。

このように、戦局を有利にするために、矛盾した条約を各国と締結したイギリスの外交を「二枚舌外交」と言います。

2−4 戦局の変化から終戦へ

長期化した第一次世界大戦でしたが、戦局が大きく変化しました。

2−4―1 アメリカの参戦

1917年、ドイツとイギリスは海戦で激突し、ドイツ軍は「無制限潜水艦作戦」を実施しました。

潜水艦による攻撃は、イギリス艦隊に打撃を与えることに成功しましたが、客船や商船にも攻撃をしました。

その結果ドイツは、多くのアメリカ人が乗っていたルシタニア号という豪華客船を撃沈した「ルシタニア号事件」を起こしました。

これをきっかけにアメリカが協商国側として参戦しました。

アメリカのウィルソン大統領は、「十四か条の平和原則」を講和の原則として発表しました。

2−4−2 ロシアの離脱

戦局が大きく変化した2つ目の要因は、ロシアの離脱です。

ロシア国内では、専制政治に反発した民衆が「ロシア革命」を起こし、政府が打倒されました。

革命で混乱したロシアは、戦争から離脱して国内の政治に注力する必要がありました。

そのため、ロシアはドイツと「ブレスト=リトフスク条約」という単独講和を締結し、戦線から離脱しました。

2−4−3 ドイツ革命から終戦へ

大国のアメリカが参戦したことで、協商国側が優勢になりました。

1918年には、オーストリア、ブルガリア、オスマン帝国などが降伏し、同盟国側はドイツのみとなりました。

孤立したドイツでは、戦争を続けることに反対した兵士達が蜂起し、「ドイツ革命」を起こしました。

その結果、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は亡命し、帝政が崩壊しました。

共和国となったドイツは、協商国と「ドイツ休戦協定」を結び、第一次世界大戦は終戦となりました。

Part 3:ヴェルサイユ条約

第一次世界大戦の講和条約を「ヴェルサイユ条約」と言います。

1919年にヴェルサイユ宮殿でパリ講和会議が開かれ、ヴェルサイユ条約が締結されました。

戦勝国であるイギリスやフランス、アメリカ、敗戦国のドイツを始め、合計32か国が参加し、アメリカ・イギリス・フランスが主導で行われました。

3−1 条約の内容

ヴェルサイユ条約の特徴的なものをまとめると以下の4つに分類できます。

・国際連盟の創設

・領土再編

・軍備の制限

・賠償金支払い命令

3−1−1 国際連盟の創設

1つ目に、国際連盟の創設です。

パリ講和会議では、世界大戦の再発防止のための国際秩序について話し合われました。

そこで、「国際連盟」を創設することで秩序の安定や良好な国際関係を維持することを目指しました。

国際連盟は、ウィルソン大統領が発表した「十四か条の平和原則」に基づいて創設され、集団安全保障体制が築かれました。

しかし、アメリカは孤立主義の外交姿勢に基づいて不参加となりました。

また、敗戦国のドイツや社会主義のソ連が参加拒否されるなど、主要国の参加ができていませんでした。

さらに、軍事力を持たないことや、多数決ではなく全会一致による決議するシステムといった問題点がありました。

その結果国際連盟は、第二次世界大戦を防止することができず、「国際連合」として生まれ変わりました。

3−1−2 軍備の制限

2つ目に、軍備の制限です。

戦争の再発防止のため、軍備を制限することが決められました。

具体的には、徴兵制の廃止や兵力の制限、航空機・潜水艦の所有禁止、ライン川流域のラインラントを非武装地域に規定などが決められました。

このように、軍備を制限して大戦の再発防止を目指しました。

3−1−3 領土再編

3つ目に、領土の再編です。

敗戦国のドイツが、侵略によって獲得した植民地を放棄させ、山東半島は日本に譲渡されました。

また、アルザス・ロレーヌといったドイツ領の一部を割譲することが決定されました。

さらに、ザール地方やダンツィヒは国際的に管理されるようになりました。

このように、広大なドイツ領が没収・割譲・国際管理されました。

3−1−4 賠償金支払い命令

4つ目に、ドイツに対する賠償金支払い命令です。

第一次世界大戦の戦争責任は、敗戦国のドイツにあると結論づけられました。

その結果、多額の賠償金を支払うように決定されました。

このような領土割譲や賠償金といった重い罰則によって、ドイツに不満が蓄積していきました。

3−2 条約の問題点

ヴェルサイユ条約にはいくつか問題点がありました。

1つ目に、ドイツに対する過剰な制裁です。

先述したように、多くの領土を没収・割譲したり、多額の賠償金支払いを命じました。

その結果、ドイツではハイパーインフレが起きるなど、大不況に陥りました。

そして、ドイツ国民の不満が蓄積し、ナチスの台頭の要因となりました。

2つ目に、米中の拒否です。

パリ講和会議に参加したアメリカでしたが、ヴェルサイユ条約を批准することは拒否しました。

これは、国際連盟に加入しなかったのと同じように、孤立主義外交に基づいたためです。

また、山東半島の権益が日本に与えられることに反発した中国は、調印を拒否しました。

このような問題を抱えていたヴェルサイユ条約は、第二次世界大戦を阻止することができませんでした。

Part 4:戦争の影響

第一次世界大戦からパリ講和会議までの一連の出来事は、国際関係において重要な影響を与えました。

・帝国の消滅

・パクス=ブリタニカの終焉とアメリカの台頭

・社会主義国の誕生

・総力戦と兵器

・集団安全保障

第一次世界大戦によって、ドイツ帝国やオスマン帝国といった帝国が消滅し、共和国が成立しました。

また、イギリスの国際的な優位であるパクス=ブリタニカが終わってアメリカが台頭したり、ロシア革命によって社会主義国が成立したりしました。

さらに先述したように、国際連盟による集団安全保障体制の確立といったことがあります。

また、それまでの戦争とは違い、戦車や潜水艦といった強力な軍備の使用や軍事・経済を総動員した総力戦による被害の拡大といった特徴があります。

このように第一次世界大戦・ヴェルサイユ条約は、軍事的・国際政治的に見て重要な影響を与えました。

Part 5:おすすめの書籍

もっと「第一次世界大戦」を学びたいという人は、以下の書籍がおすすめです。

Part 6:まとめ

いかがでしたか?

第一次世界大戦」をまとめると、

【第一次世界大戦】 要点
・背景:ビスマルク体制が崩壊、三国同盟vs三国協商、「ヨーロッパの火薬庫」バルカン半島
・経過:サラエボ事件、短期決戦作戦、日本参戦とイギリス秘密条約、アメリカ参戦、ドイツ革命
・ヴェルサイユ条約:国際連盟の創設、軍備の制限、領土再編、賠償金支払い命令
・影響:帝国の消滅、パクス=ブリタニカの終焉とアメリカの台頭、社会主義国の誕生、総力戦と兵器、集団安全保障

以上です。

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最後までご覧いただきありがとうございました。

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