【天安門事件】事件の背景や経過をわかりやすく解説

Introduction:天安門事件とは?

天安門事件(Tiananmen Square Incident)とは、

1989年、北京にある天安門広場で、民主化を求めるデモを軍が弾圧した事件

です。

天安門事件は、6月4日に起きたことから「六四天安門事件」とも言われます。

本記事では、天安門事件について解説していきます。

Part 1:内容解説

天安門事件によって、多くの市民が犠牲となりました。

1−1 事件の背景

天安門事件の背景に胡耀邦の死去が挙げられます。

胡耀邦

胡耀邦

胡耀邦は1980年から共産党の総書記として、改革開放路線を推進しましたが、鄧小平と対立したことで1987年に失脚しました。

鄧小平は、政治活動の自由などを認めなかったことから、民衆の反感を買いました。

鄧小平

鄧小平

2年後の1989年に胡耀邦が死去したことをきっかけに、学生を中心とする市民は、民主化を求めてデモを開始しました。

それに対して鄧小平は北京に戒厳令を敷き、市民のデモを中止させるために軍隊を派遣しました。

1−2 事件の経緯

市民のデモ隊は、バリケードを設置するなどして軍隊の介入を阻止しました。

こうして市民は民主化を求めてデモを行い、軍隊がそれに対峙するという形となりました。

しかし、鄧小平は市民の声明を拒否し、デモ隊に対する攻撃を開始しました。

天安門広場で多くの人が軍隊の発砲によって死亡したり、活動家が取り押さえられるなどしました。

一説によると、天安門事件による死者数は1万人に上ると言われています。

こうして、民主化のデモは軍によって弾圧され、多くの市民が犠牲となりました。

このような事件に対し、中国は国際社会から非難され、西側諸国から経済制裁を課されることになりました。

Part 2:おすすめの書籍

もっと「天安門事件」を学びたいという人は、以下の書籍がおすすめです。

Part 3:まとめ

いかがでしたか?

「天安門事件」をまとめると、

【天安門事件】 まとめ
・背景:胡耀邦の死去と民主化運動の開始
・戒厳令と軍隊の派遣
・軍隊による市民への攻撃
・国際社会からの非難と経済制裁

以上です。

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最後までご覧いただきありがとうございました。

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