湾岸戦争(Gulf War)とは、
です。
湾岸戦争は、のちの地域紛争やテロリズムにつながることになる国際的に注目されている戦争です。
本記事では、湾岸戦争について解説していきます。
Part 1:内容解説
湾岸戦争は、イラクとクウェートのみの戦争ではなく、アメリカを中心とする多国籍軍とイラクの主導で行われました。
1−1 戦争の背景
湾岸戦争はイラクのクウェート侵攻をきっかけに開戦しましたが、その背景には、イラクとクウェートの石油資源をめぐる対立がありました。
隣り合うイラクとクウェートは、油田の所有を巡って長年対立していました。
さらに、1980〜1988年にかけて起こったイラン・イラク戦争によって、イラク経済は疲弊していました。
イラン・イラク戦争についてまとめた記事は以下のリンクからご覧いただけます。
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このような状況で、クウェートは原油採掘を進め、原油価格に大きく影響を与えました。
原油に依存しているイラクは、原油価格を引き上げたいにも関わらず、クウェートの原油採掘によって、経済を立て直すことができませんでした。
この一連の出来事でイラクは戦争を決意し、1990年にイラクはクウェートへ侵攻しました。
このようなクウェート侵攻に対し、国連安全保障理事会は、イラクにクウェートからの撤退を要求し、禁輸措置といった経済制裁を課しました。
1−2 戦争の経緯と影響
1991年、イラクは国連の要求に応じなかったため、アメリカのブッシュ大統領は武力介入を決定し、多国籍軍を組織しました。
そして、多国籍軍がイラクへ攻撃を開始し、湾岸戦争は開戦しました。
多国籍軍は、「砂漠の嵐作戦」と呼ばれる空爆や「砂漠の剣作戦」と呼ばれる地上戦を展開し、軍事力で劣るイラクは敗北しました。
多国籍軍によるイラク空爆
その結果、イラクは国連の要求をのみ、クウェートから撤退することとなりました。
イラクの指導者であったフセインの体制は維持されましたが、経済制裁や多国籍軍の監視という措置が取られました。
フセイン
多国籍軍の勝利で終わった湾岸戦争でしたが、後に同時多発テロやアフガニスタン戦争、イラク戦争に繋がったと言われています。
ちなみに、日本は経済的支援に留まり、戦争に直接参加することはありませんでした。
戦争に対する消極的な姿勢が国際社会から非難の的となり、後にPKO(平和維持活動)として地域紛争に自衛隊を派遣するきっかけとなりました。
Part 2:おすすめの書籍
もっと「湾岸戦争」を学びたいという人は、以下の書籍がおすすめです。
Part 3:まとめ
いかがでしたか?
「湾岸戦争」をまとめると、
以上です。
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最後までご覧いただきありがとうございました。