【アメリカ独立戦争】戦争の背景や経緯などわかりやすく解説

Introduction:アメリカ独立戦争とは?

アメリカ独立戦争(American Revolutionary War)とは、

1775〜1783年にかけて、イギリスとアメリカ東海岸のイギリス植民地との戦争

です。

アメリカ独立戦争は、アメリカ史において最も重要な出来事の一つです。

アメリカ独立宣言が発表され、イギリスの植民地から解放された戦争です。

本記事では、アメリカ独立戦争の原因と経過を解説してきます。

【アメリカ独立戦争】 要点
・原因
  ・植民地課税問題:イギリスがアメリカに財政再建のために課税を強化
  ・ボストン茶会事件:植民地人が東インド会社の貨物船内にあった茶箱を投棄
・開戦:レキシントン・コンコードの戦い
・ワシントンが司令官に就任
・コモンセンス:アメリカ独立の重要性を論じる
・アメリカ独立宣言
・ヨークタウンの戦いと欧州諸国の参戦:パリ条約で独立を承認

Part 1:戦争の原因

アメリカ独立戦争は、宗主国であるイギリスからの課税の強化とボストン茶会事件がきっかけとなって勃発します。

1−1 植民地課税問題

アメリカ独立戦争が起こるきっかけは、植民地への課税問題です。

当時のアメリカ大陸東海岸は「13植民地」と呼ばれ、イギリスの植民地でした。

13植民地

13植民地

イギリスは、フランスとの植民地戦争や七年戦争などで出費が増大し、財政が悪化していました。

そこでイギリスは、植民地のアメリカに課税を強化することで財政再建に取り組みました。

しかし、一方的に課税を押し付けられたアメリカは強く反発しました。

1765年には「印紙税法」が成立し、新聞や広告といった紙に印紙をつけることを義務付けられました。

この印紙税法の成立によって、アメリカの反発はさらに強くなります。

植民地側は課税についての議論にも参加させてもらえず、議員を選出する選挙に参加する権利も与えられていませんでした。

そこで、アメリカの弁護士で政治家であったパトリック=ヘンリーが「代表なくして課税なし」というスローガンを掲げました。

これは、植民地を代表する議員を選出する権利がないにも関わらず、一方的に課税をされることに反発したということです。

1−2 ボストン茶会事件

ボストン茶会事件とは、

1773年のボストンで、イギリスの植民地政策に怒った植民地側がイギリス東インド会社の貨物船内にあった茶箱を海に投げ捨てた事件

です。

ボストン茶会事件

ボストン茶会事件

この事件は、イギリス議会が「茶法」を成立させ、イギリス東インド会社に茶の専売権を与えたことが原因です。

一方的に課せられた税に加え、茶法によって茶の専売権をイギリス東インド会社が独占することに植民地側は反発しました。

それに加え、イギリス東インド会社から購入した茶にも「茶税」がかかることに怒った急進派が、東インド会社の貨物船から茶箱を捨てました。

このように、一方的な課税やボストン茶会事件がきっかけとなり、アメリカ独立戦争が始まります。

Part 2:戦争の経過

アメリカ独立戦争はイギリス軍vs13植民地軍の戦いです。

2−1 大陸会議から開戦へ

イギリスからの課税やボストン港の封鎖といった圧力をかけられた植民地側は、1774年にフィラデルフィアで「第1回大陸会議」を招集し、イギリス産の商品の不買と植民地同盟を決定しました。

それに対してイギリスは、武器庫のあったマサチューセッツのコンコードに軍を派遣しました。

それを待ち伏せていた植民地側はレキシントンの町で奇襲を仕掛けました。

そして、レキシントンとコンコードでイギリス軍と植民地同盟軍が戦闘を繰り広げ、植民地軍の勝利となりました。

この「レキシントン・コンコードの戦い」によってアメリカ独立戦争が開戦しました。

レキシントン・コンコードの戦い

レキシントン・コンコードの戦い

2−2 ワシントンが司令官に就任

レキシントン・コンコードの戦いを終えた植民地軍は、1775年に第二回大陸会議を招集しました。

そこで、後の初代アメリカ大統領となるジョージ・ワシントンが司令官に就任しました。

ジョージ・ワシントン

ジョージ・ワシントン

ワシントンは司令官として植民地軍を率いてイギリス軍と戦いました。

しかし、訓練されたイギリス軍と比べて、統率が取れていなかった植民地軍は徐々に劣勢になっていきます。

2−3 コモン=センスと独立宣言

イギリス軍との戦いで苦戦が続く中、1776年にアメリカの哲学者であるトマス・ペインが「コモン・センス」を発行しました。

コモン・センス(Common Sense)は、アメリカ独立の必要性を人権の重要性や独立戦争の正当性から論じた本です。

庶民にもわかりやすく書かれており、独立に向けた世論を固めることに貢献しました。

また、同年7月には、大陸会議でアメリカ独立宣言が全会一致で採決されました。

アメリカ独立宣言が採決された「7月4日」がアメリカ独立記念日(Independence Day)となりました。

アメリカ独立宣言

アメリカ独立宣言

独立宣言は、13植民地がイギリスから独立したことや基本的人権、国民主権といった内容が盛り込まれました。

しかし、独立戦争は終結せず、イギリスとの戦闘は続きます。

2−4 戦局の変化から終戦へ

先述したように、独立軍は苦戦が続き、敗戦を重ねていました。

しかし、1777年にアメリカ軍が「サラトガの戦い」で大勝したしたことで戦局が逆転しました。

イギリスと対立していたヨーロッパ諸国がこの戦局の変化に乗じて独立戦争に参戦し始めます。

1778年にフランス、1779年にスペイン、1780年にオランダがアメリカ側として参戦し、イギリスと対立しました。

また、ロシアも武装中立同盟を結び、戦局はアメリカ側が圧倒的に優勢となりました。

そして、1781年の「ヨークタウンの戦い」で勝利したアメリカは、イギリスからの独立が決定的となりました。

そして、1783年に講和条約である「パリ条約」でアメリカの独立が認められました。

こうして、アメリカ独立戦争は終戦を迎え、正式に独立が認められました。

軍事戦略や兵力、装備などはイギリス軍に劣っていましたが、地理に精通したことやコモンセンス・独立宣言による高い士気、欧州諸国の参戦といった要因が重なり、アメリカは勝利を収めることができました。

Part 3:おすすめの書籍

もっと「アメリカ独立戦争」を学びたいという人は、以下の書籍がおすすめです。

Part 4:まとめ

いかがでしたか?

アメリカ独立戦争」をまとめると、

【アメリカ独立戦争】 要点
・原因
  ・植民地課税問題:イギリスがアメリカに財政再建のために課税を強化
  ・ボストン茶会事件:植民地人が東インド会社の貨物船内にあった茶箱を投棄
・開戦:レキシントン・コンコードの戦い
・ワシントンが司令官に就任
・コモンセンス:アメリカ独立の重要性を論じる
・アメリカ独立宣言
・ヨークタウンの戦いと欧州諸国の参戦:パリ条約で独立を承認

以上です。

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最後までご覧いただきありがとうございました。

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