【ブレトンウッズ体制】目的や内容、問題点などわかりやすく解説

Introduction:ブレトンウッズ体制とは?

ブレトンウッズ体制(Bretton Woods Agreements)とは、

1944年にアメリカのブレトンウッズで締結された、国際金融機構の協定の国際通貨基金協定と国際復興開発銀行協定をまとめたブレトンウッズ協定によって構築された体制

です。

ブレトンウッズ体制は、第二次世界大戦後の国際政治経済体制を築いたものです。

第二次世界大戦についてまとめた記事か以下のリンクからご覧いただけます。

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第二次世界大戦
【ブレトンウッズ体制】 要点
・目的

→経済の不安定が戦争を引き起こす反省から、安定した世界経済システムを構築第二次世界大戦による疲弊した世界経済の安定

・ドルを基軸通貨とした固定為替相場制
・ IMFとIBRDの設立とGATT
・金兌換の限界からニクソンショックへ

本記事では、ブレトンウッズ体制について解説していきます。

Part 1:内容解説

ブレトンウッズ体制は、国際金融・経済体制に非常に大きな影響を及ぼしました。

ここでは、ブレトンウッズ体制の目的と内容、問題点、そして崩壊するまでを解説していきます。

1−1 ブレトンウッズ体制の目的

ブレトンウッズ協定は、主に以下の2つの目的から締結されました。

・経済の不安定が戦争を引き起こす反省から、安定した世界経済システムを構築

・第二次世界大戦による疲弊した世界経済の安定

1929年に発生した世界恐慌の際、自国への影響を最小限にしようと、世界の主要国は保護貿易を中心としたブロック経済を形成しました。

植民地を持つヨーロッパ諸国などは支配地域と貿易することで経済を維持することができましたが、小国や発展途上国は恐慌の影響を受けて経済が激しく落ち込みました。

このような世界的な経済の不安定が枢軸国の台頭などを許し、世界大戦と発展したという反省から、安定した世界経済体制を構築することを目的にしました。

さらに、当時は世界大戦によって世界経済は疲弊しており、安定化が急務でした。

そのため、連合国44カ国によってブレトンウッズ体制が出来上がりました。

世界恐慌について書かれたガルブレイスの「大暴落1929」についてまとめた記事は、以下のリンクからご覧いただけます。

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1―2 ブレトンウッズ体制の内容

ブレトンウッズ体制には、いくつかの特徴があります。

1−2−1 ドルを基軸通貨とした固定為替相場制

1つ目は、ドルを基軸通貨とした固定為替相場制です。

世界恐慌で株価が暴落した反省から、金兌換によって裏付けされたアメリカドルと各国の通貨の交換比率である為替相場を固定することで、為替の安定化を目指しました。

このような、為替相場が変動しないものを固定為替相場と言います。

ブレトンウッズ体制では、金1オンス=35ドルという為替相場を決め、株価の暴落を防ぎました。

1−2−2 IMFとIBRDの設立

2点目に、IMFとIBRDの設立が挙げられます。

IMFは国際通貨基金、IBRDは国際復興開発銀行です。

ブレトンウッズ体制は、この2つの組織を中心として運営されました。

IMFは、通貨安定化のために資金を融資する役割がありました。

IBRDは、開発途上国の開発や戦後復興に必要な資金を援助するという役割でした。

ブレトンウッズ体制下では、開発途上国や大戦で疲弊した国を支援したり、貿易を推進するといった経済政策を行いました。

1−2−3 GATT:関税と貿易に関する一般協定

3点目に、GATTがあります。

GATT(General Agreement on Tariffs and Trade)とは、

「関税と貿易に関する一般協定」を意味し、1947年に自由貿易を推進するために締結された協定

です。

ブレトンウッズ体制は、世界経済を回復し安定させるために、各国の貿易を促進して経済を回すことを目指していました。

そこで、1947年にGATTを締結し、経済協力体制を構築しました。

GATTの理念は、「無差別」であり、それには「最恵国待遇」「内国民待遇」という2つの意味がありました。

それは、

最恵国待遇:加盟国に対して平等に貿易をすること

内国民待遇:輸入品と国産のものを平等に扱うこと

です。

GATTでは、協定国内で軋轢が発生して貿易が停止することがないように「無差別」という理念を取り入れました。

GATTは、後に世界貿易機関(WTO)に移行しました。

1−3 ブレトンウッズ体制の限界と終焉

世界経済の安定をもたらしたブレトンウッズ体制でしたが、徐々に問題点が浮き彫りとなり、終了への道を辿ります。

ブレトンウッズ体制は、金兌換に限界が来たことで終わりを迎えます。

ブレトンウッズ体制下では、貿易の規模が拡大し、その取引額も増加していったとともに、加盟国内でインフレが加速していきました。

さらに、ブレトンウッズ体制は基軸通貨をドルにしていることもあって、アメリカに依存していました。

1955年に勃発したベトナム戦争で、アメリカは軍事費用が増大したことで経済が疲弊していきました。

このような経済状況から、貨幣と交換する金の量が不足したことで、兌換不能になりました。

貨幣が金に交換できないため、固定相場制を維持することが不可能となり、アメリカ大統領のニクソンは、ドルと金の交換を停止しました。

これをニクソン=ショック(ドル=ショック)と言います。

ニクソンショックによって、実質的にブレトンウッズ体制は崩壊し、1973年に変動為替相場に移行したことで完全に体制は終了しました。

Part 2:おすすめの書籍

もっと「ブレトンウッズ体制」を学びたいという人は、以下の書籍がおすすめです。

Part 3:まとめ

いかがでしたか?

「ブレトンウッズ体制」をまとめると、

【ブレトンウッズ体制】 まとめ
・目的

→経済の不安定が戦争を引き起こす反省から、安定した世界経済システムを構築第二次世界大戦による疲弊した世界経済の安定

・ドルを基軸通貨とした固定為替相場制
・ IMFとIBRDの設立とGATT
・金兌換の限界からニクソンショックへ

以上です。

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最後までご覧いただきありがとうございました。

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