【スーダン内戦】内戦に経過をわかりやすく解説

Introduction:スーダン内戦とは?

スーダン内戦(Sudanese Civil War)とは、

1955年からスーダンで起こった、2度に渡って行われ、ダルフール紛争に飛び火した内戦

です。

スーダン内戦は、アフリカで最も長く最悪の内戦だと言われています。

本記事では、スーダン内戦の経過を解説していきます。

Part 1:内容解説

スーダン内戦は、第一次、第二次にわたって行われ、紛争にまで飛び火しました。

1−1 第1次スーダン内戦

第1次スーダン内戦は1955年〜1972年にかけて、南北に分かれて衝突した内戦です。

1955年、南部で労働者のデモが起きた際に、取り締まりを行なっていた警察がデモ隊に向けて発砲し、犠牲者が出たことで内戦が始まりました。

そして1956年、イギリスから独立しようとしたスーダンにおいて、北部中心で行われたことを不満に思った南部が戦闘を開始しました。

そして、南北間の対立はしばらく続き、1972年に南北で終戦の合意が取れたことで、第1次スーダン内戦は終結しました。

この内戦は17年間も続き、約50万人が犠牲となりました。

1−2 第2次スーダン内戦

第2次スーダン内戦は、1983年~2005年にかけて、南北に分かれて衝突した2度目の内戦です。

第1次スーダン内戦は1972年に終結しましたが、1983年に再び勃発しました。

1983年、北部のスーダン政府はイスラム教を中心とした政策を採用したことに対し、アフリカ系・キリスト教が大半を占める南部が反発したことをきっかけに第2次スーダン内戦は始まりました。

南部は、反政府組織スーダン人民解放軍(SPLA)を結成し、自治権獲得のために戦いました。

北部は、クーデターで成立した民族イスラーム戦線(NIF)を中心とする軍事政権がイスラーム原理主義を掲げて南部と戦闘を繰り広げました。

内戦は長期化し、200万人が死亡するという多くの犠牲を出しましたが、2005年に南北で和平協定が締結され、PKO(国連平和維持活動)によって停戦の監視がされました。

その後、2011年には南部が住民投票によって「南スーダン共和国」として独立を果たしました。

1−3 ダルフール紛争

第2次スーダン内戦が停戦に向かっていた2003年、スーダン西部のダルフールで紛争が勃発しました。

2003年、正義平等運動(JEM)スーダン解放軍(SLA)という二つの反政府組織がダルフールで政府に武装闘争を開始しました。

それに対して政府は、「ジャンジャウィード」という民兵組織を中心に対抗しました。

政府軍は、一般市民対しても無差別で攻撃をし、多くの市民が命を落としました。

この無差別虐殺に対し、国連はジェノサイドに発展する危険性を指摘し、軍を派遣してダルフール紛争解決に乗り出しました。

その結果、2010年にスーダン政府と反政府組織は停戦に合意しました。

ダルフール戦争による無差別虐殺は、「世界最悪の人道危機」とも言われ、国際刑事裁判所がスーダン大統領を告発するにまで至りました。

宗教の違いから南北に分かれて起こったスーダン内戦は、多くの人が犠牲となりました。

Part 2:おすすめの書籍

もっと「スーダン内戦」を学びたいという人は、以下の書籍がおすすめです。

Part 3:まとめ

いかがでしたか?

「スーダン内戦」をまとめると、

【スーダン内戦】 まとめ
・第1次スーダン内戦(1955〜1972年):北部中心の政府に南部が反発
・第2次スーダン内戦(1983〜2005年):イスラム系の政策を実施する北部に、アフリカ系・キリスト教徒が反発
・ダルフール紛争(2003年):ダルフール地方で政府軍と反政府組織が衝突→政府軍が無差別虐殺

以上です。

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最後までご覧いただきありがとうございました。

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