【大文化革命】運動の経緯や背景をわかりやすく解説

Introduction:文化大革命とは?

文化大革命(Cultural Revolution)とは、

1965〜1975年にかけて中国で起こった、毛沢東主導の文化運動・政治闘争

です。

大文化革命は、中国の歴史において非常に重要な出来事の一つです。

毛沢東

毛沢東

本記事では、文化大革命の経過を解説していきます。

Part 1:内容解説

文化大革命は、多くの犠牲者を出した事件です。

1−1 背景:大躍進政策の失敗

文化大革命が起きた背景に、大躍進政策の失敗があります。

大躍進政策は、1985年に毛沢東主導で行われた五カ年計画です。

重工業・農業を中心とした経済政策を展開しましたが、技術革新を伴ってないことで失敗しました。

生産能力が低下と大飢饉によって、多くの人が飢餓に苦しみました。

この失敗によって毛沢東に対する批判が高まり、国家主席の座を劉少奇に譲ることになりました。

この大躍進政策の失敗が、文化大革命へと発展していきます。

1−2 発端:実権派と毛沢東の対立

毛沢東の次に国家主席となった劉少奇と共産党総書記の鄧小平は、傾いた経済を立て直すために市場経済の導入し、経済の回復を試みました。

しかし、この政策に対して毛沢東は、共産主義の中国に資本主義を導入していると批判しました。

共産主義に基づいていた中国は、イデオロギーの異なる資本主義に嫌悪感を示していました。

このような毛沢東の主張に賛同する学生運動が国内で盛んになり、紅衛兵と呼ばれる学生運動組織が出来上がりました。

紅衛兵

紅衛兵

毛沢東を支持していた林彪共産党副主席は、紅衛兵を扇動して資本主義を導入する勢力に対して批判・暴動を起こさせました。

林彪

林彪

実権派と呼ばれていた劉少奇と鄧小平やそれらを支持する勢力は、紅衛兵による攻撃対象となり、多くの人が暴力・殺害されました。

このように、実権派の市場経済の導入を巡る論争から、暴動が発生しました。

1−3 林彪事件から文化大革命の終結へ

文化大革命の中、毛沢東を支持していた林彪共産党副主席でしたが、政策の食い違いなどから対立しました。

そこで林彪は毛沢東の暗殺を試みましたが失敗に終わり、国外逃亡を図りました。

しかし、林彪の乗った飛行機は不時着に失敗して墜落し、搭乗者全員が死亡しました。

これら一連の出来事を、林彪事件と言います。

林彪の死後、四人組と呼ばれる4名の中心者が文化大革命を主導しました。

しかし、1976年に毛沢東が死去すると、四人組は後ろ盾を失って失脚しました。

毛沢東の死去によって激しい権力闘争が行われ、鄧小平が実権を握り、文化大革命の終了が宣言されました。

鄧小平は、毛沢東と異なって政策を改革開放路線に転換し、資本主義の導入を推進、現代の中国の基礎を築きました。

Part 2:おすすめの書籍

もっと「文化大革命」を学びたいという人は、以下の書籍がおすすめです。

Part 3:まとめ

いかがでしたか?

「文化大革命」をまとめると、

【文化大革命】 まとめ
・背景:大躍進政策の失敗→技術革新を伴わない重工業化
・市場経済を導入する実権派と毛沢東の対立→紅衛兵による暴動
・毛沢東の死去による沈静化と鄧小平の改革開放路線

以上です。

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最後までご覧いただきありがとうございました。

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