インド=パキスタン戦争(India Pakistan War)とは、
です。
インドとパキスタンは、イギリスの支配から独立した1947年から現在まで争っており、世界情勢の不安定要因になっています。
本記事では、インド=パキスタン戦争の経過を解説していきます。
Part 1:内容解説
インド=パキスタン戦争は、インドとパキスタンが3度にわたって争った戦争を指し、現在も解決していません。
1−1 第1次インド=パキスタン戦争
第1次インド=パキスタン戦争は、カシミール地方を巡って起こった戦争です。
第二次世界大戦後、インド帝国はイギリスの植民地支配から解放され、独立しました。
しかし、インド帝国内にはヒンドゥー教を中心とするインド連邦とイスラム教を中心とするパキスタンで宗教対立が起こり、それぞれ別れて独立しました。
独立に際し、インドとパキスタンの間にある「カシミール地方」を巡って、対立しました。
カシミールの図::緑はパキスタン支配,、オレンジはインド支配
1947年、インド軍とパキスタン軍が戦闘状態に入り、インド軍の優勢で戦争は進みました。
しかし、決着はつくことなく、1948年に国連による調停で休戦に至りました。
このように、独立に際してカシミール地方を争った戦争を「第1次インド=パキスタン戦争」と言います。
1−2 第2次インド=パキスタン戦争
1948年に休戦したインド=パキスタン戦争でしたが、1965年に再び勃発します。
1962年、インドと中国は、国境を争って「中印国境紛争」を行いました。
この紛争は中国の優勢で戦局が進みましたが、ソ連の要請で停戦しました。
インドのネルー首相は、東西陣営に所属しないという「非同盟主義」を外交姿勢として掲げていましたが、アメリカに支援を求めたことで、非同盟主義を放棄したと言えます。
中印国境紛争で実質的に敗北したインドに対し、パキスタンは中国と接近し、インドを挑発することで第2次インド=パキスタン戦争が開始しました。
パキスタンは、最初は有利な戦況を維持していましたが、インドの反撃によって、こう着状態になりました。
その後、国連の仲介で再び停戦となり、カシミール地方をめぐる問題は解決しないままとなりました。
このように、中印国境紛争を背景として、第2次インド=パキスタン戦争が勃発しました。
1−3 第3次インド=パキスタン戦争
第3次インド=パキスタン戦争は、東部パキスタンだったベンガル地方を巡って争いました。
ベンガル地方はインドの東部にあり、パキスタン領からは離れた場所に位置します。
1971年、ベンガル地方の東部パキスタンはパキスタンから独立しようと運動を開始しました。
この独立運動をパキスタンが弾圧し、分離を阻止しようと試みました。
その際、インドが東部パキスタンを支援して独立を推進し、バングラデシュとして独立に成功しました。
このインドとパキスタンの衝突を第3次インド=パキスタン戦争と言います。
第3次インド=パキスタン戦争は、今までの戦争とは異なり、カシミール地方をめぐる争いではありませんでしたが、東部パキスタン問題が終了したことで、両国の関心はカシミールに集中することになりました。
1980年代には、両国が核開発に踏み切り、核保有国となりました。
現在でもカシミール問題は解決しておらず、両国が核を保有していることから、世界情勢を不安定にしている問題の1つになっています。
Part 2:おすすめの書籍
もっと「インド=パキスタン戦争」を学びたいという人は、以下の書籍がおすすめです。
Part 3:まとめ
いかがでしたか?
「インド=パキスタン戦争」をまとめると、
以上です。
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最後までご覧いただきありがとうございました。