キューバ革命(Cuban revolution)とは、
です。
チェ・ゲバラ
この写真で有名なチェ・ゲバラはキューバ革命で活躍した人物です。
キューバ革命は、冷戦下において、アメリカと密接に関わっていたキューバが反発して社会主義化した出来事です。
冷戦についてまとめた記事は以下のリンクからご覧いただけます。
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本記事では、キューバ革命についてわかりやすく解説していきます。
Part 1:革命の経過
キューバは、昔から大国に支配され、苦しんだ過去があります。
1−1 キューバの歴史
キューバは、大航海時代にスペインが入植し、長きにわたって支配されました。
アメリカは、キューバ独立派を支援してスペインによる支配を終わらせましたが、同時にキューバに政治・軍事介入できるようにしました。
アメリカに政治経済的に依存していたキューバは、世界恐慌で経済的な大打撃を受け、反米感情が高まりました。
当時のキューバ軍事政権は、アメリカからの支援を受けており、親米の姿勢でした。
1−2 革命の勃発
キューバ革命は、1953年に起きたカストロ主導による「7月26日運動」が始まりですが、この運動は失敗に終わりました。
徐々に反政府に対する勢力が拡大し、1959年にはチェ・ゲバラとカストロ主導でバティスタ政権を打倒しました。
チェゲバラとカストロ
そして、カストロは企業の国有化や農地改革といった社会主義政策を実施し、アメリカに対抗しました。
このように、政権の打倒と社会主義革命をまとめてキューバ革命と言います。
Part 2:革命の影響
キューバ革命は、その後国際関係に非常に大きな影響を及ぼしました
2−1 アメリカとの国交断絶とソ連への接近
キューバ革命によって、アメリカとキューバの国交は断絶しました。
キューバは、アメリカ資本の追放やアメリカ企業の国有化といった資本主義に対抗する措置をとり、完全な社会主義路線へと転換しました。
アメリカは、支配下に置いておきたかったキューバで社会主義革命が成功したことによって、明確な敵となりました。
社会主義陣営となったキューバは、ソ連と接近していきます。
1960年には、キューバとソ連の経済協力協定が調印されました。
さらに、1961年にはキューバが共産主義を採用する宣言を発表しました。
アメリカはキューバへの禁輸措置を行い、経済的に制裁を加えようとしました。
2−2 キューバ危機
キューバ危機は、冷戦中最も緊張が高まった事件であるといえます。
社会主義体制に移行するために、キューバではアメリカ資本が追放され、アメリカとキューバの関係は悪化しました。
アメリカは、社会主義のキューバ革命政権を転覆するために画策しましたが、成功しませんでした。
そのようなアメリカに対して、キューバはソ連に支援を求め、ソ連のフルシチョフがキューバに核ミサイルの配備を開始しました。
キューバに核ミサイルが配備されると、アメリカ本土を攻撃される危険性があるため、アメリカは絶対に阻止する必要がありました。
アメリカは、ソ連がキューバにミサイル基地を建設しているのを発見すると、海上封鎖を行なってソ連の基地建設を妨害しました。
アメリカも核兵器の準備をし、キューバ海上の緊張は最高潮に達し、米ソによる核戦争の危機が訪れました。
アメリカのケネディ大統領とソ連のフルシチョフ首相は、アメリカがキューバから退却する代わりに、ソ連はミサイル基地を撤去するという合意を結んで、核戦争の危機は回避されました。
このようにキューバ危機は、冷戦で最も緊張が高まった瞬間であると言えます。
Part 3:おすすめの書籍
もっと「キューバ革命」を学びたいという人は、以下の書籍がおすすめです。
Part 4:まとめ
いかがでしたか?
「キューバ革命」をまとめると、
以上です。
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最後までご覧いただきありがとうございました。