イエメン内戦(Yemeni Civil War)とは、
です。
イエメン内戦は、現在も継続している内戦の一つです。
本記事では、イエメン内戦について解説していきます。
Part 1:内容解説
イエメン内戦は、1994年、2015年と2度にわたって繰り広げられた内戦です。
1−1 1994年イエメン内戦
1839年、イギリスによって支配されたイエメンは、南北に分断されていました。
しかし、1990年に南北イエメンが統一され、現在のイエメン共和国が成立しました。
統一した南北でしたが、民族・宗教・政治的な違いを克服できず、対立が深まっていきました。
イエメン共和国の成立から4年後の1994年、南イエメンが独立を掲げて蜂起し、内戦が勃発しました。
2ヶ月に及んだ内戦は北イエメンの勝利となり、南イエメンの独立は達成されず、停戦合意となりました。
1−2 イエメン騒乱と2015年イエメン内戦
イエメン内戦は、2015年に再び勃発しました。
南北の統一の頃からイエメン共和国を率いてきたサレハ大統領に対し、強権的な政治に不満を持つ南イエメンを中心とする国民に不満が高まりました。
アリー・アブドッラー・サーレハ大統領
2011年、チュニジアで発生したジャスミン革命をきっかけに広がった民主化革命であるアラブの春が起こりました。
アラブの春についてまとめた記事は以下のリンクからご覧いただけます。
Introduction:アラブの春とは? アラブの春(Arab Spring)とは、 2010〜2012年にかけて、アラブ諸国で発生した反政府デモの総称 です。 アラブの春は、アラブ諸国が連続して民主化革命を行なった一連の出来[…]
アラブの春はイエメンにも波及し、反政府デモが活発となってサハレ政権は打倒されました。
この出来事をイエメン騒乱といいます。
イエメン騒乱によってサハレ大統領は退陣しましたが、民主化は成功しませんでした。
サハレ大統領に続いてイエメン大統領に就任したハディ大統領でしたが、イスラム武装組織のフーシ派・アラビア半島を拠点とするイスラム組織アルカイダと対立しました。
アブド・ラッボ・マンスール・ハーディー
以上の3つの勢力が対立して2015年イエメン内戦が発生しました。
内戦は未だに終結しておらず、多くの犠牲者と難民を生んでいます。
イエメン内戦によって、300万人以上が難民、10万人以上が犠牲となり、「最悪の人道危機」と言われています。
Part 2:おすすめの書籍
もっと「イエメン内戦」を学びたいという人は、以下の書籍がおすすめです。
Part 3:まとめ
いかがでしたか?
「イエメン内戦」をまとめると、
以上です。
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最後までご覧いただきありがとうございました。