【ウェストファリア体制】ウェストファリア条約の内容や主権国家体制などわかりやすく解説

Introduction:ウェストファリア体制とは?

ウェストファリア体制(Westphalian sovereignty)とは

1648年にウェストファリア条約で成立した国際政治体制

です。

ウェストファリア条約は、最大の宗教戦争である「三十年戦争」の講和条約です。

ウェストファリア条約・体制は、国際関係史において基礎的な概念の一つです。

本記事では、ウェストファリア体制について解説していきます。

【ウェストファリア体制】 要点
・ウェストファリア体制:1648年にウェストファリア条約で成立した国際政治体制
・三十年戦争:カトリックvsプロテスタントからハプスブルク家vsブルボン家へ
・ウェストファリア条約:領土割譲・独立承認・主権国家・新教徒の信仰

・ウェストファリア体制:主権国家体制・国際法・外交・勢力均衡

Part 1:三十年戦争とウェストファリア条約

ウェストファリア条約は、ミュンスター講和条約とオスナブリュック講和条約の総称であり、ウェストファリア会議で締結されました。

ヨーロッパ各国が参加した国際的な宗教戦争である「三十年戦争」の講和条約がウェストファリア条約です。

この条約は、国際関係史において非常に重要な意味を持っています。

1−1 三十年戦争

三十年戦争は、神聖ローマ帝国内のカトリックプロテスタントの争いから始まりました。

神聖ローマ帝国では300以上の領邦が存在し、様々な宗派がありました。

神聖ローマ帝国の皇帝に就いたフェルディナンド2世は、国内をカトリックに統一しようと試みました。

しかし、プロテスタントの諸侯はそれに反発して連合を結成することで対立が始まりました。

最初は、国内のカトリックとプロテスタントの対立でしたが、それぞれの宗派に賛同するヨーロッパ諸国がこの争いに参加することで規模が拡大していきました

最終的には、スペイン=オーストリアのハプスブルク家とフランスのブルボン家によるヨーロッパにおける政治的争いに変化していきました。

三十年戦争は、4段階に分類されます。

第1段階:ボヘミア・プファルツ戦争(1618年〜1623年)

第2段階:デンマーク戦争(1625年〜1629年)

第3段階:スウェーデン戦争(1630年〜1635年)

第4段階:フランス・スウェーデン戦争(1635年〜1648年)

三十年戦争は一つの大きな戦争のことを指すのではなく、三十年にも渡って繰り広げられた多くの戦争をまとめた宗教戦争を指します。

三十年戦争は、1648年にウェストファリア会議でウェストファリア条約が締結されて講和が成立しました。

1−2 条約の内容

ウェストファリア条約はヨーロッパの大国が参加し、多くの内容が取り決められました。

その多くは、領土の割譲や賠償金額の決定、独立の承認といったものがあります。

ここでは、その中の代表的な内容を挙げます。

・オランダ・スイスの独立

・フランス・スウェーデンがドイツ領の一部を獲得

・新教徒・カルヴァン派の信仰が認められる

・諸侯が独立した領邦となり、主権国家として認められる→神聖ローマ帝国の実質的な解体

ウェストファリア条約によって神聖ローマ帝国が解体され、諸侯が独立しました。

また、一部の国の独立が認められたり、領土の割譲が行われるなどしました。

そして、宗教戦争だった三十年戦争は、最終的に新教徒・カルヴァン派の信仰を認めるという結論に至りました。

ウェストファリア条約によって、神聖ローマ帝国が解体したり、諸侯が独立して主権国家を築くなど、ヨーロッパにおける国際体制が大きく変化しました。

Part 2:ウェストファリア体制

ウェストファリア体制は当時のヨーロッパの国際政治体制を変化させ、現代の国際社会の基礎を築きました。

2−1 主権国家体制

ウェストファリア体制の最も重要な特徴は「主権国家体制」の確立です。

主権国家体制とは、

国家権力を最高権力として、国家間の関係を対等なものと考える国際システム

です。

主権国家体制の特徴は以下のようにまとめられます。

・国家権力が最高権力であり、それより上位の権力が存在しない

・国家同士は対等な関係

・国境で区切られた固有の領土を有する

・国家権力が国内統治の権利を持つ

このような国際システムを主権国家体制と言い、現代まで継続しています。

主権国家体制以前は、諸侯による封建制やキリスト教による宗教的支配によって統治されていました。

2−2 国際法

主権国家体制が確立し、国際社会にはルール(法律)が必要になりました。

対等な主権国家同士が活動する国際社会において、利害の対立や戦争に対処するための国際法の必要性が認識され始めました。

「国際法の父」と言われるフーゴー・グローティウス(Hugo Grotius)は、三十年戦争中に『戦争と平和の法』の中で国際法を提唱しました。

グロティウス

グロティウスは三十年戦争という自身の悲惨な体験を通じて、正当性のない戦争を禁止するような国際法が必要であると考えるようになりました。

そして、必要な戦争があっても最低限の守るべきルールがあると考え、『戦争と平和の法』を著しました。

この背景として、「軍事革命」が挙げられます。

当時のヨーロッパでは、火薬や火器の出現、大砲の発明、軍事戦略の確立といった軍事力の革命が起こっていました。

多くの戦争を経験したヨーロッパ諸国は、勝利するために武器を開発したりマニュアルを作成するといったことが発展し、軍事力が増大しました。

このような軍事革命によって三十年戦争は悲惨なものとなり、国際法が提唱されるに至りました。

2−3 外交制度の発展

この時代に外交制度が発展しました。

外交制度は、外交機関である外務省やそれを司る外務大臣や外交使節などが挙げられます。

最初の外交制度は、15世紀のイタリア都市国家で発達したと言われています。

そして、ウェストファリア会議を通じてヨーロッパ諸国や諸侯が外交の制度を発展させました。

具体的には、外交の儀礼や席次といった外交における制度が話し合いによって決定されました。

その意味でも、三十年戦争・ウェストファリア条約は外交制度が発展するきっかけとなりました。

2−4 勢力均衡

外交制度が充実していき、主権国家体制が確立することで「勢力均衡」という概念が登場しました。

勢力均衡は、パワーが均衡することで秩序が安定するという考え方です。

主権国家同士は法的には対等な関係でしたが、国力や軍事力では国によって大きな差がありました。

そこで、主要な大国のパワーが均衡することで国際秩序が安定するように「勢力均衡」が重要視されました。

しかし、この時代における勢力均衡は平和を達成することはできませんでした。

実際は、覇権的勢力に対抗するための戦争が何度も繰り返されました。

以上のように、ウェストファリア条約によって構築されたウェストファリア体制は、主権国家体制・国際法・外交・勢力均衡といった特徴を持っていました。

Part 3:おすすめの書籍

もっと「ウェストファリア体制」・国際関係史を学びたいという人は、以下の書籍がおすすめです。

Part 4:まとめ

いかがでしたか?

「ウェストファリア体制」をまとめると、

本記事では、ウェストファリア体制について解説していきます。

【ウェストファリア体制】 まとめ
・ウェストファリア体制:1648年にウェストファリア条約で成立した国際政治体制
・三十年戦争:カトリックvsプロテスタントからハプスブルク家vsブルボン家へ
・ウェストファリア条約:領土割譲・独立承認・主権国家・新教徒の信仰

・ウェストファリア体制:主権国家体制・国際法・外交・勢力均衡

以上です。

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最後までご覧いただきありがとうございました。

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